アドラーから学ぶ、現場の親方像

産業廃棄物処理施設や建設現場などでは、大きな声を出して危険を回避させなければならない場面があります。大手建設工事現場での研修・教育では、大きい声を出し合ってお互いに危険を回避し合うことも訓練として取り入れているところもあるようです。

労災を防ぐには、「おーい。そっちいくぞ。」「おう。わかったぜ」という声を掛け合う現場特有のカルチャーを育む必要があるわけで、時には、大きい声で注意喚起しなければならないこともあります。

しかしながら、現場の安全管理者である上司や親方は、注意喚起するために大声を出すことに慣れてしまって、いつの間にか怒鳴り声になっていませんか?もしそうならば、業務効率を低下させるばかりかパワハラになり得るので、十分注意が必要です。本記事では、怒鳴ることと注意することの違いを私の偏見も踏まえて、解説してみたいと思います。

注意はするが、怒鳴ってはいけない

大きい声で注意喚起をすることと、怒鳴ることを混同している方が多いように感じます。未だになぜか多くの現場では怒鳴ったり、キレたりする人が多いように感じます。

2013年にダイヤモンド社で出版され、大ベストセラーになった「嫌われる勇気~岸見一郎~」を読むと、怒りを使う人ほど、みじめでかっこ悪い人間であるということに、気づかせてくれます。アドラー心理学では、「相手を屈服させたい」という目的を達成するために「怒り」という都合の良い道具を使うものだとしていますが、「相手を屈服させたい」という感覚は、本人の劣等感から出てくる行動(劣等コンプレックス)としており、自分に自信が持てないことで不安に思い、自分より立場の弱い相手に対して、怒鳴るとかキレたりすることで、相手より優位に立つ感覚だと言っています。

チームは各々が協力し合って、プロジェクトを達成するために存在するので、「怒り」という個人的な劣等感を満たす目的は不要であり、むしろそれは職場内の業務効率を低下させることになります。同僚や部下が危ないと思ったら、大きい声をだして注意喚起すればよいし、悪いことをしたり、間違っていることがあれば、普通に注意したりルールに従って処分するだけの話です。怒鳴るのは、自分自身の劣等感を満たすためのかっこ悪い行為であることを肝に銘じて仕事をしていかなければなりません。また自分では、大声を出しただけで、怒鳴ったつもりはないが、そう相手に受け取ってしまいそうだったら、部下に対して「イヤーさっきは、危なかったからつい大声になってしまい。悪いねー」とフォローアップを入れる必要があると思います。一昔前までは、現場親方が絶対的な権力を持っていて、不安全行動があれば工具が飛んできたり、理不尽なことでも怒鳴っていた現場も多かったかもしれません。確かに今でも、労災防止の面からして、厳しく律しなければダメなシーンも多々ありますが、「怒り」とは別なものとして使い分けしなければなりません。親方や上司が、怒りという道具を使いすぎると、自分に自信のない奴だと部下から見透かされ、「かっこ悪い人」になってします。

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